鳥取家庭裁判所米子支部 昭和42年(家)17号 審判 1967年2月16日
申立人 砂川基一(仮名) 昭和四一年一二月一一日生
法定代理人親権者父 砂川忠久(仮名)
同母 砂川文子(仮名)
主文
申立人の名を「誠」に変更することを許可する。
理由
本件申立の理由の要旨は、申立人の親権者父母は、昭和四一年一二月一一日自己等の長男が出生したので、同月一九日に「基一」と命名して届出をした。
(1) しかしながら右届出を実際にしたのは親権者父であつて、当時、親権者父は勤務先の喫茶店における仕事(バーテン)が年末多忙で帰宅も深夜になることが多かつたため、長男の命名につき親権者たる産褥にある妻(申立人の母)と納得ゆくまで協議熟慮する暇なく、殆ど自己の独断で右命名届出をしたのが実情であり、その後産褥から回復した親権者母は、右命名に反対し、かねて考えていたことのある「誠」の名を強く希望するに至つた。
(2) 加うるに親権者父母は、姓名判断に詳しい人から「基一」の名では生命に危険がありおそくも一二歳で死亡するとの話を聞き迷信とは思いながら居たたまれぬ気持になり出生後一〇日目位から「誠」を長男の呼名として用いている。
よつて、申立人の親権者父母はこの際、申立人の名「基一」を「誠」と変更したく希望するのでその許可を求めるというのである。
本件調査の結果によれば、上記申立理由の中の事実関係はこれを認めることができる。
先ず、本件申立理由中(2)の姓名判断の結果に対する親としての不快、不安を主張する点は、子の幸福を願う親の心情としては理解することができるが、そもそも姓名判断による人の運命の予言そのものが何の合理的根拠もない迷信に過ぎないことは社会の常識というべきであるから、本件における親権者父母の上記の不安、不快感は、客観的にも常識的にも全く根拠のないものであり、主観的にそれが如何に大なるものであつても到底改名を認める正当な理由となすに足りない。
次に本件申立理由中(1)の点につき考えるのに、改名を正当とする事由があるか否かは、改名を求める者の側に存する利益、必要と、名の変更により生じ得べき社会的利害の比較衡量により決せられるべきものと思料されるところ、本件においては、名それ自体にはその変更を必要とする不便支障は認められないが、子の名の命名の自由を有する親権者の一方が産褥にあつて他の親権者との間で命名につき十分協議、熟慮する機会を得ないまま殆ど他の親権者の独断により命名届出がなされてしまつたため自己の考慮、意見が命名に反映されておらないとして命名に不満を抱き、反対し、その結果他の親権者においてもこれを尤もであるとし、双方の一致した意思で名の変更を求めている場合であることが認められ、本件における名の変更を求める利益、必要は主観的なものであり、名自体に客観的な不便、支障が存する場合に比し小さいことは明らかであるが、子の名の命名の自由を有する親権者の心情も無視することはできないから、その自由を十分に行使し得なかつたことに対する不満の念に基づく改名の希望は、それが命名後極く早期の間である限り、改名の許否上正当に斟酌さるべき一の理由たるを失わないと解すべきである。そして、本件申立は命名届出後極く早い時期の一月以内になされており、命名後相当の時日を経てなされた場合と異り、未だ命名された子の名の社会的関連、定着を生ずる程度もいうに足りぬ段階であって名の変更による社会的影響は極めて僅かであると認められる。しかも、本件改名申立は、各自体に存する客観的な事由に基づくものではないが、出生後命名までの間における親権者の特殊事情により親権者の命名の自由の行使が十分に行なわれなかつたという客観的事由を根拠とするのであるから、今後、更に、主観的な理由による改名申立の反覆されることを案ずる理由もない。
以上により、本件申立理由中(2)の点は理由がないが、(1)の点において本件改名申立を許可すべき正当な理由があるものと認める。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 高橋正之)